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江戸時代は、米の生産力が政治力の中心となっていたため、幕府や各藩は、新田開発や米の生産能力の向上を重要な施策の一つとして推進していました。様々な経験の蓄積や技術の発達がみられましたが、農業の進展は、一方で、田畑の肥料をいかに確保するかという問題と表裏の関係にありました。この問題を解決した要因の一つとして、都市から大量に出るし尿や灰が、周辺の農村で肥料として有効活用されたことが挙げられます。江戸時代には、都市で出されたし尿や灰が有価で農家によって引き取られ、田畑の肥料として利活用され、そこで栽培された米や野菜が江戸の人々の食材に供されるという循環が成立していました。
100万人ともいわれる大都市であった江戸から発生する下肥は、江戸周辺の農家に運ばれて肥だめにためられました。肥だめは、発酵による熱の発生によってし尿の衛生的な利用を可能にし、良質な肥料として周辺の野菜栽培に活用されていました。
また、練馬大根や小松川周辺で生産された小松菜、また、滝野川牛蒡などの「江戸野菜」も、し尿の肥料としての有効活用による恩恵を受けた代表的な例と言えます。
私たち現代人は昔に学べる事が少なくないかもしれません。
(「平成20年版 図で見る環境循環型社会白書」より) |
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